しょんぼぼのたんぶらあ

要するに、支出面において現役世代は一人ないし二人の「子供」を養育しているのと同じわけだ。

それは、「もの言わぬ裁判所から、もの言う裁判所へ」ということである。

それが端的に見られるのが、死刑判決の扱い。永山事件では

極刑がやむえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわねばならない

だったのが、光市事件ではこうなっている。

極刑がやむえないと認められる場合には、死刑の選択をするほかないものといわなければならない

なんともどえらい違いである。「死刑でもOK」から「死刑でなければNG」になったのだから。

ええっ!宮台先生がニコ生で愛を語るのかい? 

マジかよw 今度やってみる。 

明日何か作ろう。 

社会学者の大澤真幸に『恋愛の不可能性について』というオシャレなタイトルの本がある。このタイトルは一種のレトリックだ。この本で著者は、クリプキという人の固有名についての議論を応用しながら、人は自分が恋人のことをなぜ好きなのかというその「好きな理由」をつかめない、という事実を論じている。いわば、人は自分の恋愛の仕組みを完全に自分のものにできないという現象を「不可能性」と呼んでいるだけであって、「恋愛」はやはりできるし、実際街には恋愛している人で溢れかえっている。
「スピードが速いタイピストがABC配列で打った場合、キーが絡むので必要に迫られて編み出された」というのは、残念ながらガセネタのようです。このネタは、August Dvorakという人が1930年代に新しいキー配列を考案した際、既存のQWERTY配列を攻撃するために『Cost of Teaching Typewriting Can Be Greatly Reduced』(The Nation’s Schools, Vol.XI, No.5 (May 1933), pp.39-42)という論文で言い出したものですが、この論文には根拠が全く示されていません。また、「TYPE WRITERの文字列をセールスマンが素早く入力して見せるため」というのも、当時の商標が「Type-Writer」だったことを考えると、ハイフンが同じ列にない以上、タチの悪いジョークだと言わざるをえません。